伊豆の北条幻庵屋敷跡推定値


 北条幻庵の屋敷跡というと小田原久野地区が知られているが修善寺大平(おおだいら)にもあったことは意外と知られていない。北条幻庵のことを久野北条氏と称されるほど幻庵が活躍した場所を示す『久野』がいろいろな文献から読み取れる。
 伊豆の幻庵屋敷跡については『増訂豆州志稿』によると【高皇明神】の項に「幻庵ハ氏康ノ叔父ニシテ箱根ノ別当タリ。此頃ハ此村権現ノ神領ナリシ故、寓居セシナラム。在郷ノ時、種々ノ武具ヲ奉納ス」とあります。他の地方誌にも幻庵屋敷跡や大平館跡について述べてあります。現地では石碑等もなく正確な場所は不明であるが伊豆市の文化振興係が下記の幻庵屋敷跡推定図(2ケ所)を送っていただきました。
幻庵の建立した金龍院(当時は大徳寺派早雲寺末・明治時代より他宗派の曹洞宗寺院)が隣接している道芦原地区が有力であると思われるが-------?。

(伊豆市修善寺町大平地区)

北条幻庵代官屋敷跡の場所(小田原市久野)

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 金龍院は北条幻庵が創建した臨済宗大徳寺派早雲寺末の寺であるが開山は不明、明治初期の廃仏毀釈にて廃寺となり現在は宗派では直接関係のない曹洞宗の寺院となっている。開基の位牌の中に北条幻庵の戒名『金龍院殿明吟哲公大居士』幻庵宗哲は大徳寺派の僧名)が現在まで金龍院に伝えている。この寺の近くには水量は少ないが落差105mの伊豆の名所旭滝がありこの可憐な滝の姿から尺八の名曲『滝落ち』が生まれているのだが尺八の名手であった北条幻庵が作ったとも?言われている。また「一節切り尺八」も自作するなどして一族の中に尺八が広まっていった。
 この場所には伊豆唯一の虚無僧の寺『瀧源寺』(普化宗)があったとされるが明治の廃仏稀釈で廃寺となり現存していない。京都には縁者が多い幻庵と普化宗との関係も予想され、江戸時代になると関東地方に普化宗が急激に増え、武士から農民になった北条一族の中には虚無僧(尺八)になったものも多かったのではなかろうか。本尊十一面観音菩薩は県の文化財として現在の金龍院に保存されている。昨年の静岡新聞にこの尺八の名曲『滝落ちの曲』は現在でも地元保存会によって秋に現地にて演奏されていることがでていた。この虚無僧の『滝落ち』の名曲より愛読している内田康夫氏の浅見光彦シリーズ『喪われた道』が生まれたともいわれ、昨年の12月1日の内田康夫氏の修善寺での講演会で直接そのエピソードを聞くことができた。
    

金龍院(天文年間?創建--西暦1532~1555年)

旭滝 

金龍院(曹洞宗 伊豆市大平)
  金龍院から200m西に龍源院(普化宗)跡と旭滝がある

北条幻庵の戒名(現金龍院本堂中央)