北条氏堯寄進状--河津町林際寺
左記と同じ乳母ケ懐にあるようだが場所は未確認。河津町が寺院一覧を作成するときにその供養塔の由来を寺の記録より下記のように表記した。当時は一石五輪の墓を建てたようだが現在は基礎と傘のみ。
征夷大将軍前右大臣従一位源朝臣家康公御息宰相中将頼宣少将頼房之母、持氏六代之裔蔭山長州利広息女、蓮花院妙招日心
寄浄財於諸僧------略-------。
慶長九甲寅二月誌之(西暦1605年2月)
林際寺所有の河津町史より接写撮影
蔭山氏広の供養塔--お万の方寄進
北条氏忠の墓
創建当時の林際寺は現在位置より数キロ奥の乳母ケ懐に位置し、その脇に上記の墓がある。中央の丸い水輪は昭和になって付け加えて修理しようだ
林際寺本堂にあった写真より接写撮影